古詩紀 (四庫全書本)
古詩紀 |
欽定四庫全書 集部八
古詩紀 總集類
提要
〈臣〉等謹案古詩紀一百五十六巻明馮惟訥撰惟訥字汝言臨胊人嘉靖戊戌進士官至光祿寺卿其書前集十巻皆古逸詩正集一百三十巻則漢魏以下陳隋以前之詩咸在焉外集四巻旁采仙鬼之作別集十二巻則前人論詩之語也時代緜長採摭繁富其中真偽錯雜以及牴牾舛漏所不能無故馮舒作詩紀匡謬以糾其失然上薄古初下迄六代有韻之作無不兼收溯詩家之淵源者不能外是書而他適固亦採珠之滄海伐木之鄧林矣厥後臧懋循古詩所張之象古詩類苑梅鼎祚八代詩乗相繼而出總以是書為藍本然懋循書雖稱補此書之闕而捃拾繁猥珠礫混淆又割裂分體不以時代為次使閲者茫無端緒不能得其正變源流之象書又以題編次竟作類書僅漢魏全録晉宋以下皆從刪節已非完備之觀而所載漢魏詩中如蘇武妻詩之類至今為藝林之笑故獨惟訥此編為詩家圭臬初太原甄敬為刋板於陝西一依惟訥原次而剞劂甚拙復間有舛訛此本為吳琯等重刋雖去其前集正集外集別集之名合併為一百五十六巻而次第悉如其舊較讐亦較甄本為詳故今從吳本録之不復別分門目惟訥別有風雅廣逸十巻核其所載即此編之前集葢初輯古逸諸篇先刋行世後乃續成漢魏以下併為一編實非有二今惟別存其目而其書則不複録焉乾隆四十六年正月恭校上
總纂官〈臣〉紀昀〈臣〉陸錫熊〈臣〉孫士毅
總 校 官〈臣〉陸 費 墀
古詩紀原序
右詩紀前集十巻詩紀百三十巻外集四巻詩話及識遺為別集十二巻北海少洲馮先生所纂輯也先生以雋才大雅高歩一時見世之為詩者多根柢於唐鮮能窮本知變以窺風雅之始乃𣶮隋而上極於黃軒凡三百篇之外逸文斷簡片辭隻韻無不具焉秦漢而下詞客墨卿孤章浩帙樂府聲歌童謠里諺無不括焉七略四部之所鳩藏齊諧虞初之所志述無不蒐焉始事於甲辰之冬集成於丁巳之夏嵗凡十四稔先生宦跡且徧四方矣遇通儒博士無不出而訂焉驟見之編郡邑之載金石之刻無不取而覈焉嗚呼先生之加意斯篇其可謂勤且篤矣方甲辰始事先生時守河中維與分讐之列茲當告成敢續言於末簡曰詩之道尚矣夫人哀樂之心感而歌詠之聲發永言嗟嘆成文諧音蓋自結繩之代巳固然矣然情以人生文由代變古詩自宣尼刪後罕有存者其軼文略備於斯是以質文之變莫得而詳焉漢風所宗造端蘇李東京揚其流波建安備其氣質逮於江左托意虛𤣥繼以齊梁綺縟陳隋輕艷而詩之變極矣中間作者若張蔡曹劉潘陸顔謝江沈徐庾莫不虎視蛟騰抗心特異思以駕前賢之逸軌障當世之頽瀾然而繁音曲節每變益工品格風標沿時遞下豈所謂聲音之道關乎世運者耶代歴既遐流風寖沫後之學者莫得渉其津涯先生於是會萃遺失裒為成書詩以人系人以代分代以時次火齊明月的皪錯陳鏞磬柷敔翕如並奏使藝林之士因詩考人因人論世得以繹祖述之淵源第古今之優劣獵皇王之菁華而窮性術之變化也豈不偉哉明興詩人承宋元餘習頗乏遠調𢎞治間北地李先生獻吉始以唐風為天下倡一時人士宗之文體一振焉及其敝也株守名家矜其學歩千金享帚斯不遠覽之過爾余故謂先生是編之集大有功於雅道雲承事郎河中張四維撰
古詩紀凡例
一是編原以古逸為前集漢魏以至陳隋為正集似覺牽合今取古逸與各代之名與數疏之於首而以詩紀巻數綂之於下竊取刻史記國語之例
一是編馮公攟摭有年幾乎無遺矣然有未覩諸書如古今風謠等及金石中流傳於世者間有未盡今別輯一編曰拾遺以附於後
一是編刻於關中刻旣不佳校多遺誤今悉取馮公引用諸書酌量改易至有彼此俱不可解者姑且存疑不敢妄加臆見也
一如以東昏時歌誤置北齊紀中又以長夀誤為隋年而隋紀收鄭蜀賔之類今但附註其誤於下不敢輒為刪去
一諸人集中附載賡答之作今取特列寥寥數語亦以存一時作者之名
一目錄原分於各代之前然而巻帙既殊考索不易今則綂列於前
一上古迄秦以箴銘頌誄備載與後例頗不同又古作者多不詳名氏今故以類分凡為類十一為巻十〈以下悉是馮公舊例〉
一漢以後篇什廣矣觀史傳所載歴代作者其集動若干巻今所錄千百之一爾將以著詩體之興革觀政俗之升降資文園之博綜羅古什之散亡故備錄之不暇選擇若必雲本道徳之㫖葉風雅之音叅校論敘成一家之書尚有望於大雅君子焉
一樂府所載晉宋以後郊廟燕射樂歌舊輯詩者咸析入各家集內然此乃一代之典章非一人所得専也且其作之有宮徵其肄之有條貫似不宜分置今悉依郭茂倩舊次總列各代之末而以作者名氏系之題下雲〈漢魏郊廟歌不多而無燕射之樂且已刋布今不更易也〉
一鼔吹曲辭舞曲歌辭凡奏之公朝列在樂官者亦如前例編錄於郊廟燕射之後其自相擬作不入樂府者仍存本集
一漢以後詩人先帝王次諸家以世次為序次爵里無考者次方外次閨秀次無名氏
一詩人有歴數朝者從其所終之代若一人止一詩而知其為何時之作則從其作詩之代操懿為魏晉之祖故以冠二代不稱帝者未即位且非正也嵇阮入魏淵明入晉前賢巳有定論至於劉昶蕭綜之奔魏蕭祗之奔齊蕭撝之歸周背本入夷咸夷之矣其他亡國為俘有可傷者焉
一作者氏系歴履行誼封諡俱查史傳書其要略著於名氏之下庶觀者有考焉
一詩人有名氏而不知世代及樂府無名氏詩不可考其為何代之作者別為一巻附於末
一各家成集者編法先樂府次詩各分四言五言六言七言雜言齊梁以下諸體漸備〈如四韻者律也二韻者絶句也又有三韻謂之半體〉今各以體相從而諸體之中又各以類相附〈一人詩止數首者不能盡如此例或分其體裁要在均調倫類而巳〉
一藝文類聚初學記所載詩多係摘句今擇其闕文詩各載於後其雖似闕略猶能成章者仍存正集闕疑也〈闕文詩亦有附從各體之後者〉
一各史列傳所載詩全文者入正集闕文者入別集〈曰志遺〉
一詩互見各書而所載詩人名不同者擇其有證據者從之題下注云某書作某人今從某書作某人若無所考訂則二處並存之於甲乙互箋見所出之籍
一詩數見而句字不同者叅校其義稍長者為正文餘分注其下雲一作某或某書作某
一聯句詩舊見某人集者因之同賦諸人集中不復錄也
一藝文類聚初學記二書所載其詩題明白者則仍其題如曹植鬬雞陳琳宴會之類亦有引詩不明著其題則止雲闕題題下注見某書某部庶不失作者之意〈如王粲從軍詩而藝文載遊覽部劉楨贈從弟而載松部明帝猛虎行而在桐部後人皆因其分部為題誤矣〉
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